松尾久美(元緊急救援ボランティア)
午後5時半、今日も子どもたちの声が聞こえてくる。ここはスラムの図書館だ。奥ではスタッフと10人ほどの子どもたちが机を囲んでいた。恒例企画であることわざクイズの最中で、常連もエンピツを握り真剣な様子だ。
タイの首都バンコクには、1000ヵ所以上のスラムが存在し約120万人の人がその中で暮らしている。その中で最も規模の大きいクロントイ・スラムに上述の図書館は位置している。開館してから17年、家々がひしめき合って立ち並ぶスラムの中にあって、子どもたちの過ごす場所として定着してきた。アジア各国で子どもたちへの教育支援に取り組むシャンティ国際ボランティア会(以下SVA)が、クロントイ図書館を運営している。図書館の上部2,3階はSVAの事務所であり、国内の各事業地の本部の役割を果たしている。
最近になって図書館の改装が決まり、その計画にあたってスラムの図書館に求められるものは何だろうかと考える日々が続いていた。
図書館スタッフのひとりにムアイさんがいる。タイ各地でSVAが運営する9つの図書館と、そこで活動する約20人のスタッフを束ねるのが彼女の仕事だ。的確な判断力と物腰のやわらかさは天下一品で、新人からもベテランからも信頼される存在である。
ある夕方、ムアイさんもわたしもまだ仕事が終わらず近くに食事に出ることにした。道路の脇にある、屋台と軒先の中間のような店で注文を済ませると、『すぐ戻るね』と彼女は席を立った。4,5分ほどで戻ってきた彼女は、『わたし、おばあちゃんなのよ』と言う。36歳の彼女は苦い表情とは逆に楽しそうにしている。彼女を「小さいおばあちゃん」と呼ぶ、ベン君に会ってきたという。6歳の彼はお姉さんの孫なのだ。このクロントイ・スラムで大家族の一員として育ったムアイさんは地域内に親戚が多い。今はスラムの外に暮らしているが、仕事帰りに孫のベン君に会いに行くのを日課としている。
彼女には甥っ子もいる。バンコク郊外で田んぼと隣りあって暮す5歳のプレン君だ。少しでも時間があれば会いに行く最愛の甥っ子である。口数は少ないけれど意思のつよい目をしているのが印象的だ。親戚が集まると歳の近いベン君とプレン君はいつも一緒に遊ぶ。
『ふたりは同じぐらいの歳だけど、ベンのほうが大人ね、スラムに住んでいる子ってたくましい子が多いのよ』相槌を打ちながら、すぐ右の道路に目をやると、ちょうど6歳ぐらいの男の子が妹らしい小さな子を連れて歩いていた。前から後ろから来る容赦のないバイクや車に気を配りながら妹に今買ってきたらしい飴を渡している。この光景を見て、彼女の先ほどの言葉が一気に心に飛び込んできた。「スラムの子のたくましさ」スラム出身の若いスタッフでも何人かの顔が思い浮かぶ。
タイに来て2年、東北や南部で過ごした時間のほうが長いけれど、それでも本部であるクロントイ事務所にはよく出入りをしていた。スラムの現状などといって数字だけを見て知った気になっていたのかもしれない。これまで、通り過ごしてきた道での子どもたちの姿にはっと気づかされた。スラムの子どもに対して今まで自分が向けていた視線に気づかされたのだ。
『例えばお金のこと...』とムアイさんの話は続いている。まだそのしくみをわかっていないプレン君に対して、ベン君は1バーツ硬貨から1000バーツ紙幣に至るまで(タイ通貨の全種類)を理解している。彼の両親は家を空けるときご飯を買うためのお金を渡しておくのだ。長くなればその分だけ。さらにムアイさんは続ける。教育の面でも約20年前のひどい状況から改善され、学校に通えない子どもは実質いなくなった。ただその生活にはやはり違いがある。スラムの子どもたちは、毎日学校から帰ったら家事をしたり、妹や弟の面倒をみたりしているかもしれない、または両親の物売りなどの仕事を手伝って街に出ているかもしれない。それは、その子たちがいい子だからというわけではなく必要に迫られてのことなのだ。スラムの子どもはこう、街の子はどうと、ステレオタイプに考えるのは避けなければならないが、現実として経済的な格差は存在している。
『もし今ベンとプレンがひとりになったとして、なんとか生きていけるのはベンだろうね』この言葉に誇らしさを感じた。スラムの出身者だからこそ、自分の地域の子どもたちにできることがあるのだ。それは、スラムに生きることを誇れること。生活補助や奨学金などに取り組む団体は多い。けれど、たとえ最低限のくらしを維持することができ教育の機会を得たとしても、スラムに育った自分を隠したり、スラムに住んでいる両親を恥じたりしないといけないのであれば、ひとりの人間として誇りを持って生きていくことは難しいだろう。どのような支援事業であれ、スラムで生きる自分たちだからこその強さというもの、それを自覚させていくような働きかけが必要とされているのだ。スラムに育つ子どもたちには大きなハンデがあるのかもしれない。経済的にも生活環境においても外部からのイメージにしてもでもある。しかし、そのハンデをかわいそうなことだからという視点で活動をするのは、子どもたちのエンパワメントの支障にすらなる。理解したつもりになっていたこのことを改めて認識し、図書館のあり方の答えにも近づいた気がした。
ムアイさんが最後に言った。スラムで生きることは麻薬や暴力の問題と隣り合わせに生きることであり、よほど自分をしっかり持っていないとそういった問題に巻き込まれる可能性が高い、ベンのことがやはり心配だ、と。
タイの首都バンコクには、1000ヵ所以上のスラムが存在し約120万人の人がその中で暮らしている。その中で最も規模の大きいクロントイ・スラムに上述の図書館は位置している。開館してから17年、家々がひしめき合って立ち並ぶスラムの中にあって、子どもたちの過ごす場所として定着してきた。アジア各国で子どもたちへの教育支援に取り組むシャンティ国際ボランティア会(以下SVA)が、クロントイ図書館を運営している。図書館の上部2,3階はSVAの事務所であり、国内の各事業地の本部の役割を果たしている。
最近になって図書館の改装が決まり、その計画にあたってスラムの図書館に求められるものは何だろうかと考える日々が続いていた。
図書館スタッフのひとりにムアイさんがいる。タイ各地でSVAが運営する9つの図書館と、そこで活動する約20人のスタッフを束ねるのが彼女の仕事だ。的確な判断力と物腰のやわらかさは天下一品で、新人からもベテランからも信頼される存在である。
ある夕方、ムアイさんもわたしもまだ仕事が終わらず近くに食事に出ることにした。道路の脇にある、屋台と軒先の中間のような店で注文を済ませると、『すぐ戻るね』と彼女は席を立った。4,5分ほどで戻ってきた彼女は、『わたし、おばあちゃんなのよ』と言う。36歳の彼女は苦い表情とは逆に楽しそうにしている。彼女を「小さいおばあちゃん」と呼ぶ、ベン君に会ってきたという。6歳の彼はお姉さんの孫なのだ。このクロントイ・スラムで大家族の一員として育ったムアイさんは地域内に親戚が多い。今はスラムの外に暮らしているが、仕事帰りに孫のベン君に会いに行くのを日課としている。
彼女には甥っ子もいる。バンコク郊外で田んぼと隣りあって暮す5歳のプレン君だ。少しでも時間があれば会いに行く最愛の甥っ子である。口数は少ないけれど意思のつよい目をしているのが印象的だ。親戚が集まると歳の近いベン君とプレン君はいつも一緒に遊ぶ。
『ふたりは同じぐらいの歳だけど、ベンのほうが大人ね、スラムに住んでいる子ってたくましい子が多いのよ』相槌を打ちながら、すぐ右の道路に目をやると、ちょうど6歳ぐらいの男の子が妹らしい小さな子を連れて歩いていた。前から後ろから来る容赦のないバイクや車に気を配りながら妹に今買ってきたらしい飴を渡している。この光景を見て、彼女の先ほどの言葉が一気に心に飛び込んできた。「スラムの子のたくましさ」スラム出身の若いスタッフでも何人かの顔が思い浮かぶ。
タイに来て2年、東北や南部で過ごした時間のほうが長いけれど、それでも本部であるクロントイ事務所にはよく出入りをしていた。スラムの現状などといって数字だけを見て知った気になっていたのかもしれない。これまで、通り過ごしてきた道での子どもたちの姿にはっと気づかされた。スラムの子どもに対して今まで自分が向けていた視線に気づかされたのだ。
『例えばお金のこと...』とムアイさんの話は続いている。まだそのしくみをわかっていないプレン君に対して、ベン君は1バーツ硬貨から1000バーツ紙幣に至るまで(タイ通貨の全種類)を理解している。彼の両親は家を空けるときご飯を買うためのお金を渡しておくのだ。長くなればその分だけ。さらにムアイさんは続ける。教育の面でも約20年前のひどい状況から改善され、学校に通えない子どもは実質いなくなった。ただその生活にはやはり違いがある。スラムの子どもたちは、毎日学校から帰ったら家事をしたり、妹や弟の面倒をみたりしているかもしれない、または両親の物売りなどの仕事を手伝って街に出ているかもしれない。それは、その子たちがいい子だからというわけではなく必要に迫られてのことなのだ。スラムの子どもはこう、街の子はどうと、ステレオタイプに考えるのは避けなければならないが、現実として経済的な格差は存在している。
『もし今ベンとプレンがひとりになったとして、なんとか生きていけるのはベンだろうね』この言葉に誇らしさを感じた。スラムの出身者だからこそ、自分の地域の子どもたちにできることがあるのだ。それは、スラムに生きることを誇れること。生活補助や奨学金などに取り組む団体は多い。けれど、たとえ最低限のくらしを維持することができ教育の機会を得たとしても、スラムに育った自分を隠したり、スラムに住んでいる両親を恥じたりしないといけないのであれば、ひとりの人間として誇りを持って生きていくことは難しいだろう。どのような支援事業であれ、スラムで生きる自分たちだからこその強さというもの、それを自覚させていくような働きかけが必要とされているのだ。スラムに育つ子どもたちには大きなハンデがあるのかもしれない。経済的にも生活環境においても外部からのイメージにしてもでもある。しかし、そのハンデをかわいそうなことだからという視点で活動をするのは、子どもたちのエンパワメントの支障にすらなる。理解したつもりになっていたこのことを改めて認識し、図書館のあり方の答えにも近づいた気がした。
ムアイさんが最後に言った。スラムで生きることは麻薬や暴力の問題と隣り合わせに生きることであり、よほど自分をしっかり持っていないとそういった問題に巻き込まれる可能性が高い、ベンのことがやはり心配だ、と。

クロントイスラム

スラムに住む子どもたち









