SVAカンボジア事務所活動報告

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第11回「アジア子ども文化祭」開催



 カンボジアの国歌が流れ、司会者が第11回「アジア子ども文化祭」の開会が宣言した。その後、主催であるSVAの代表挨拶、在カンボジア日本大使館、高橋大使の挨拶に続き、カンボジア政府を代表して、共催団体である、カンボジア教育・青年・スポーツ省を代表してコール・ペン大臣の祝辞となった。

 雨期の明けた10月27日、カンボジアの首都プノンペンにあるプノンペン文化センターで「アジア子ども文化祭」が開催された。カンボジアでの開催は、昨年の12月にカンボジアの誇る世界遺産、アンコール・ワットで開催されたのに続き二回目。参加国は、主催国のカンボジア、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナム、そして、日本の6カ国。

「アジア子ども文化祭」は、前半の三泊四日に、カンボジアの南部のビーチリゾート、シアヌーク・ビルの海での「国際キャンプ」とクライマックスの各国の子どもたちによる各国の伝統舞踊・音楽を披露する大舞台に分かれている。

 今年は首都プノンペンでの開催ということもありカンボジア政府の各省の要人、各国際機関の代表、各国大使館の代表が来賓として臨席。日本、ベトナム、タイは大使自らが最初から最後まで席を立たなかった。カンボジアではこうした各国の子どもによる国際的に催事が少ないために政府関係者やマスコミ関係者の関心も高かった。

 「アジア子ども文化祭」の目的は、アジア各国の各民族の伝統文化を次代を担う子どもたちに継承すること。そして、各国の子どもたちが、顔の見える文化を中心とした交流を通してアジアの平和を築くこと。さらに、教育・文化活動を通して、様々な困難な環境にある子どもたちが、困難を克服して未来に対して夢と希望を持てるようにすること。

舞台で演じる子どもたちは、9才から15才。国によって異なるが様々な困難の中に生きる子どもたちも含まれている。内戦等で親を亡くした孤児たちや都市のスラムの子どもたちも参加している。毎年、「アジア子ども文化祭」は、「虹と夢の舞」として、各民族の多様性と未来への夢をテーマとしている。「虹」は、7色の異なる色が見事に調和し、青空に美しい虹の橋を架ける。また、「虹」は、雨の後に青空に現れる。「夢」はいかなる環境の中にあっても生きる勇気と希望につながる。

 子どもの踊りといっても伝統に裏打ちされて、民族の伝統文化と魂が衣装や踊り、音楽に込められているために大人のプロ顔負けの踊りで観衆を魅了した。子どもたちの生命力と躍動感が舞台ら溢れていた。

 首都プノンペンでの「アジア子ども文化祭」を開催して、最も印象的だったのは、カンボジア内戦の終結を告げたパリ和平条約から15年が経過して、様々な課題を抱えながらもカンボジアに平和が戻り、国際的な「アジア子ども文化祭」という行事が開催されることになったことだった。

 最初にカンボジアの子どもたちが、「アジア子ども文化祭」に参加出来たのは、第三回のバンコクで開催され8年前の1998年。それまでは、国内の内乱等によってカンボジアの子どもたちが国外に出ることも出来なかった。ポルポト時代に徹底的に破壊されたカンボジアの文化も見事に復興されつつあることを実感させられた。

 「継続は、力なり」。11年連続しての「アジア子ども文化祭」、これまでに関った子どもたちは、千五百人を超えている。参加した子どもたちが、アジアの未来に新しい文化の根を張りどんな花を咲かれていくのかが楽しみだ。

八木沢克昌


スラム移動図書館チームが強制移転地を巡回

 9月より始まったスラム移動図書館活動ですが、11月10日はバサックスラムの強制移転地、アンドーン村の巡回に同行しました。アンドーン村への巡回は今回で4回目。スタッフのオートバイの後ろに乗り、プノンペン市内から西に国道4号線を30分行くとプノンペン国際空港です。その正面の道を北に入ってさらに20分、田んぼ道を抜けると1600世帯6000人が、避難小屋暮らしをしているアンドーン村に到着です。

 ビニールシートや椰子の葉っぱで拭いた民家の軒先にシートを広げると、移動図書館の始まりです。待ちかねた子どもたちは早速思い思いの絵本を手にとって、広げています。字の読める子は一字一字を指で追いながら声を出して読んでいます。字の読めない子どもたちもいっしょうけんめい絵に見入っています。ひざに小さな弟を抱えた女の子が一枚一枚ページをめくっていました。

子どもたちがもう少し絵本を読みたいなと思っているうちに、スタッフによる絵本の読み聞かせが始まりました。子どもたちの人数も増え50人くらいはいるでしょうか。地べたに座って読み聞かせに見入って(聞き入って?)います。その周りに座っているおばさん、朝からほろ酔い加減のおじさんも!!! 一話終わるごとにみんなの拍手が沸き起こります。

 最後はみんなの好きなカンボジアの歌です。何曲か歌って踊っているうちに、そのほろ酔い加減のおじさんが飛び入りでみんなの前で歌を披露。住民も参加して、大盛り上がりのうちに終わった今回の移動図書館活動でした。

 6月6日に1000人近い武装警官によってこの村にスラムの人々が強制移転させられてからはや4ヶ月が経とうとしています。いまだに上下水道もなく、ごみ収集の公共サービスもないアンドーン村はプノンペンで一番生活環境が劣悪な場所と言われています。子どもたちの多くも学校に行くことができないでいます。スタッフも問題が大きいだけに滅入ることもありますが、子どもたちやおじさん、おばさんの笑顔から元気をもらってこの活動を続けています。

「また、来るからね。」と手を振りながら、アンドーン村を後にしました。


手束耕治

『アプサラの舞』

 「アプサラ」とは天界に住む美しい天女たちのことです。アンコールワット遺跡を訪問された方は、壁画に刻まれたアプサラの彫刻をご覧になったと思います。アンコールワットの中に1000体あるアプサラの像一体一体が違う装飾品を身につけています。

カンボジアには多くの古典舞踊が存在しました。その中でもアプサラの舞は古代から伝わる伝統的な舞で、20世紀の半ばプレア・モハ・クサットライ・ヤニーロアット・シソヴァット・コサマック・ニアリーロアット・セレイヴァッタナ女王により新しく生まれ変わりました。ただ内戦などで文化が破壊され、アプサラの舞を踊れる人たちも減ってしまいました。

 次世代にアプサラの舞を伝えたい。芸術大学の教授であるナロム先生の強い思いがあり昨年シャンティ湘南様、ハンカチの木様、小杉太一様のご支援により「アプサラの舞」の本を出版することが出来ました。ナロム先生は、内戦で生き残った舞踊研究家の一人。もう年ゆえに「文化を伝えれない」というプレッシャーから声を失っていました。この「アプサラの舞」の作業を通じて希望を見出し、声も取り戻しました。天女が先生に幸運を運んできてくれたのかもしれません。

 本を配布して約1年。バンテイミンチェイのソピー小学校を訪れた図書館チーム。休み時間になり、子ども達が一斉に図書室に押しかけてきます。ふと目を移すと、「アプサラの舞」の本を広げながら、子ども達が柔軟体操をした後、踊りはじめているではありませんか!誰も踊りを強制しなくても、子ども達が自分の意思でアプサラの本を見ながら同じポーズをとっていっている。カンボジアの踊りを踊りたい、と子どもの心に湧いてきたのでしょうか。ナロム先生の強い思いは実を結ぼうとしています。

 本は子ども達に様々な気づきと機会を提供します。その無限大のチカラを感じました。
鎌倉幸子


SVA海外研修プログラム参加者レポート(横井さん)

「カンボジアにおけるノンフォーマル教育支援(子どもの識字教育)」

シャンティ国際ボランティア会 プノンペン事務所
実習期間2006年8月21日~9月15日
桜美林大学国際学部国際学科2年 横井佐奈


私はインターンの実習期間の間にNGOなどの7団体を訪問し、ノンフォーマル教育について調査した。現在、日本バングラデシュのノンフォーマル教育に関係する支援活動を行っており、同じように最貧国と呼ばれるカンボジアではどのような団体が、どのような活動をしているのか興味があった。

訪問したNGOは、日本のNGO、日本以外で海外からのNGO、そしてカンボジアのNGOと3通りの場所を選んだ。それらの団体は、Center of Peace、JLMM、SCADP、Friends-International、Mary Knoll、World Education、とUNICEFである。全ての団体はノンフォーマル教育の支援活動を行っているという共通点はあるが、対象としている子ども、あるいは人、行っている活動もそれぞれ異なっている。

まず、ノンフォーマル教育を行っているということで全ての団体の共通点は、何らかの理由で学校に行けない子ども(あるいは大人)への支援である。ではなぜ、この国ではあまりにも学校に行けない人たちが多いのか、自分なりにまとめてみた。原因は様々である。大きな原因の一つは貧困だ。お金がなく、教育のためにお金を使うよりも子どもに働かせて収入を得る方が生活のためになるため、学校に行くという選択をとれる子どもが少ない。学校、先生の不足も大きな原因の一つだ。学校や教室の数が足りず、遠くて通えなかったり、人数がいっぱいで通えなかったりする。教員の質の悪さも目立つ。本来ならば無償である義務教育も、先生がお金を徴収するため貧しい子どもは通えない。また、生徒に対する配慮があまりなく、できない子は先生にも放って置かれどんどん落ちこぼれていってしまうというケースが多いことを知った。更に、カンボジアは教育システムが一度消滅してしまった国である。現在復興中であるが、まだまだ工夫が足りないな、と感じられた。小学校で教える教科は算数、クメール語、ソーシャルサイエンス(理科・社会)のみらしく、音楽や体育、図工など子どもたちが楽しめる授業、また子どもたちの想像力を高めたりできる教科が非常に少ない。学校を楽しくすること、これはドロップアウト率を減少するためにも、大きな課題ではないかと私は考える。以前まで存在した進級テストも非識字者の子どもが多い原因でもあると思う。落ちこぼれた子は文字が読めないまま、つまり進級テストに合格することができずいつまで経っても上の学年に上がることができない。つまり必然的にドロップアウトすることにつながってしまうのだ。

このように、訪問した団体からはカンボジアではたくさんの子どもたちが学校に通えない理由、と言うのを聞き出してみた。まず驚いたのは非識字率が高いのと、ドロップアウト率が高いことだ。UNESCOの統計によるとカンボジアの非識字率は62%にのぼるそう。またドロップアウト率も1年生で全体の11.7%もいるそうだ。そして教育という場からかけ離れざるをえなかった人々。なんらかの理由で教育を受ける権利をもてない人々のために、ノンフォーマル教育は存在すると私は考えている。またそのような人が多いのは、フォーマル教育自体がしっかり機能していないからだとも考える。カンボジアではより基礎的な部分からしっかりさせていく必要があるのではないかと感じた。

また、カンボジアならではの衝撃もあった。カンボジアでは忘れてはいけない、重い歴史がある。ポルポト政権の存在は現在のカンボジア人にとってとても大きな影響を与えている。スタッフの方々もほとんどが家族や自分が被害者である。お話を聞かせていただくたびに、悲しくなった。悲惨さの重さを感じた。また、子どもが教育を受けれない理由の一つとして、子どもの親の世代の多くが、教育経験から離されてしまった人たちであるため、教育を受けることの必要性を理解できない人が多いと聞いた。悲惨な過去が、現在にも重くのしかかっている。あらためてカンボジアの歴史、ポルポト政権の苦い影響力を感じた。

7つの団体を訪問して、それぞれの活動の個性を見ていくのは、様々な形の支援があることを知ることができて良かった。例えば教育を行っている場所が様々である。お寺の敷地内の一角を使って授業をしていたり、住み込みのシェルターで生活しながら教育の場も与えたり、各自で小屋を作って授業をしていたり。対象としている子どもたちのバックグラウンドも様々であった。地方から貧しい家庭にある子どもを住み込みで生活させている団体もあれば、ゴミ山で働いている子どもたちを対象としている団体、学校から落ちぶれてしまった子どもを短期間で集中的に教育している団体など、本当に様々である。彼らたちの活動があって、教育を受けられる、読み書きができるようになる子どもたちが増えていると言う事。当たり前のことかもしれないけれど、私にとってその現実を知ることはとても大きなことだった。「将来、国際協力に関わった仕事をしたい」といつも考えてはいるものの、たまに開発や支援というものが本当に良いことにつながっているのか、とわからなくなることがある。しかし、実際の現場を見て、励まされた部分が大きい。まだはっきりと自分が進む道のことはわからないが、少しだけ定まったような気がする。それは大きな進歩であったと思いたい。
最後に、お世話になったSVAのスタッフの方々、訪問先のスタッフの方々に、このような未熟者の私をたくさん助けていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

NGO海外研修プログラム参加者レポート(三成さん)

インターンシップ報告書

社団法人シャンティ国際ボランティア会 プノンペン事務所
三成 里世
2006年8月21日~2006年9月15日

目次
1 はじめに
2 訪問先NGO及びインタビュー
◎ Ministry of Education Youth and Sport (Moung Chantouchさん)
◎ スラム訪問
◎ KAPE訪問
◎ Ministry of Education Youth and Sport (EM HAMKHUONさん)
◎ Ministry of Education Youth and Sport (加藤栄さん)
◎ FIDR
◎ Room to Read
Education for girl (scholarship program)
◎ スナーダイ・クマエ孤児院
◎ Room to Read in Siem reap
◎ バンテミンチェイ 図書館活動教育
3 結果・考察
4 まとめ
5 参考文献

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