SVAスタッフ日記-アフガニスタン-

現地スタッフ紹介
ザビット、ジャビッド

*アフガニスタン事務所を支える、彼らなしでは成たたない、日頃裏方に徹しているチャオキドールやドライバーの紹介です。

チャオキドールチーフ、ザビット

 「彼がどういう人かと聞かれたら、このエピソードが一番でしょう。」と紹介者のカシム氏(ネジャットセンター理事長)。ある日、カシム氏が麻薬撲滅事業のため、バダクシャン地方へ出かけた際、目的地に行く途中道に迷ってしまった。現地案内人は方向的にはこの先の方だが、道は地雷の危険があり、これ以上進むのは危険だという。ただ、何時間もかけて歩いてき、目的地まではあと少しのはず、カシム氏が悩むところザビットが歩き出した。慎重に、一歩ずつ歩き、後方のカシム氏に「自分の足跡に続いてください。」と伝えたという。”ザビット”とは彼のあだ名で勇敢兵といった意味を持つ。そんな彼も家に帰れば幼い子どもたちがまとわりついて離れないほど子煩悩な父親。子どもたちには、平和な社会で暮らし行って欲しいという。

ジャビッド

 ジャビッドの話はずっと前にもアップデートで紹介したことがある。2003年に、一番最初に事務所を開設した際、パートで一人の女性が掃除や調理などの手伝いで来てくれいていた。その少し後、ジャビッドがチャオキドールとして雇われた。あまり頼りになりそうになく、紹介もない彼であったが、生活に窮していることは一目瞭然で、最後にワヒドが自分が保証人になるといい雇うことになった。ジャビッドが入って直後、パートできていた女性が来られなくなってしまった。病気だという。給料も待たずに止めてしまったため、心配になり連絡先を探しているとジャビッドが知っているとのこと。大事な給与は直接渡したいと案内をお願いしたところ、そこはジャビッドの家。その女性はジャビッドのお母さんであった。父親は以前にミサイル弾で死亡、母一人でどんな仕事もこなしたという。これからは、母が家にいて、自分が母親の面倒を見る、と言うジャビッドの言葉に嬉しそうに頷く母親であった。アフガンでは、男性が自分の身内を他の男性に紹介することはタブーである。よって、ジャビッドも母親だと事務所で名乗ることはできないでいた。これからは母親をきちんと支えていきたいという。


(写真左:ジャビッド、右:ザビット)

アジズラフマン(事務所チャオキドール)


独学で英語を勉強し、英語が話せる唯一のチャオキドール(警備員兼用務員)。弟たちには自分ができなかったことをして欲しいと願う。また、パキスタン大地震の事業では大活躍しました。

Q1.家族構成は?
 私は18歳で結婚し、現在7人の子どもがいます。男の子が4人で女の子が3人です。一番上の子は11歳です。3人の弟、6人の姉妹のうち1人は病死しました。父は私が19歳の時に病死してしまいました。私は、一番上なので、結婚した姉妹を除き、弟妹のと母親の面倒を見なくてはいけません。1978年に難民としてパキスタンの難民キャンプに行き、それ以来パキスタンで暮らしています。ただ、私は幼かったので当初のことはあまり覚えていません。

Q2.SVAに入職したきっかけは?
 父親が亡くなった時、私はまだ学校に行っていましたが、経済的に苦しくなり私が働かないといけなくなりました。私は学校止め、アフガンNGOでチャオキドールや運転手の仕事で雇われました。2000年から別の団体のカブール事務所で働き始めましたが、治安や政情不安に陥り、自分がいなくなっては家族が路頭に迷うということで、カブールを離れることにしました。その後、ペシャワールで仕事を探していた際にSVAがジャララバードに事務所を開設したと聞き、応募しました。例えチャオキドールでもNGOの一員であることは、自国を援助するという大切な役割があると思いできればNGOで働きたいと思っていました。

Q3.パキスタン大地震事業に関わって
 パキスタン事業では、実際に人々や子どもたちに関わって、どのように学校のシェルターを建設していくかや、人々たちにどうしたら物資を届けられるかなど、いろいろ具体的に学ぶことができました。パキスタン事業では、地域の人々との交渉や交流が主な仕事で、私自身相手の文化や宗教、習慣などを大切にし、相互理解を深めないと援助でも、仕事を進めていくのが大変だと感じました。

Q4.将来の目標
 私は途中で勉強ができなくなってしまいましたが、それでやめてしまうのではなく、これからも勉強を続けていこうと思っています。先ず目の前の仕事に責任を持ってできるようになり、その後はできればフィールドに関わる仕事に就くことができればと思っています。SVAの事業にも、いつか自分自身が関われるよう努力していきたいと思います。

ジャミラスタッフ無事日本より帰国

10月15日~30日まで来日したジャミラスタッフが無事11月10日アフガニスタンに帰国しました。日本へ到着した直後から日本の空気が自分にあっていると感じたというジャミラスタッフ。各地で温かい歓迎を受け、アフガンも日本も共通している部分がたくさんあると感じたという。帰国後は、日本で学んだこと、日本での経験をアフガンで伝えて生きたいとのこと。また機会があったら何度でも訪れたい国と繰り返していた。受け入れてくださった皆様、準備のためにご尽力いただいた皆様にはこの場をおかりして厚く御礼申し上げます。

CBSキャンペーンにて来日のジャミラスタッフ

10月15日よりジャミラスタッフが来日します!

 貴重な女性スタッフの1人のジャミラスタッフは、4人の子どもを持つお母さんです。
彼女のルーツは東部地域でも最も山岳地帯であるニューリスタンですが、本人はカブールで生まれ育ちました。勉強が好きだったという彼女が大学に入学した直後、戦乱により学校へ行くのを断念、結婚後は旦那さんの、「状況が良くなったらいつでもまた勉強することができるよ。」という言葉に励まされてきました。
難民としてパキスタンに出た際には、教育の機会を失った子ども達や過酷な環境にいる子ども達の家庭を1件1件周って子ども達の様子をレポートしました。
 全ての子ども達に教育の機会を、ということがまさに自分の使命だと感じるというジャミラスタッフ。それでも、「旦那の理解がなかったら働きに出ることは難しかった。」という。地方で働いている旦那が家に帰ってくるのは1週間に1度。その間一人で家庭を切り盛りしています。女性の外出がままならないアフガニスタンでは、大変なことですが、それでも仕事は続けたいと意欲的です。
 生まれて初めての海外、日本。出発前は心配事も多かったが、子ども達もお母さん頑張って、と励ましてくれたそうです。アフガニスタンのお母さんの代表として、子ども達への思いを語ってくれることでしょう。


(ナゾアナ女子小学校にて図書館活動を行うジャミラスタッフ。写真提供:安井浩美さん)

事務所支える裏方スタッフ--運転手アジマル

事務所支える裏方スタッフ
 SVAアフガニスタン事務所には、特有の環境であることから事務所を裏方として支えるスタッフがたくさんいます。普段は裏方で表には出ませんが、日本人の生活を守り、事務所運営は彼ら抜きではできない、というほど大切な存在の裏方スタッフを紹介していきたいと思います。

 

Q.1.どうして運転手になりましたか。
戦争のため、学校にいけず教育のない自分は、他の仕事に就くことは難しいと思いました。16歳の時に兄に運転を習い、家計を助けるためにドライバーになろうと思いました。

Q.2.大変なことではなんですか。
アフガニスタンでは、夜車を走らせるのが困難です。街頭がない上にライトを皆フルにつけるので反射して時には危ない事故を引き起こします。

Q.3.嬉しいことはなんですか。
新しい車を任されたときは嬉しいです。

Q.4.子どもは何人ですか。
9人です。子どもには、私が受けられなかった教育を受けてほしいと願っています。

Q.5. SVAの活動をどう思いますか。
アフガンの人々のために、教育という支援をしているSVAで働けることを誇りに思っています。

Q.6. 将来の希望は何ですか。
家族をこのままきちんと養っていければそれが一番です。後は、神のご加護があることを祈っています。

 淡々と答えてくれた事務所開設当初から、SVAの筆頭運転手として頑張ってくれているアジマル。子どもが9人もいる割にはまだやんちゃな気が残る彼だが、運転に関しては「とり憑かれたように」運転すると評判でもある。治安が悪いときでも、どんな悪路であっても文句の一つも言わずにひたすら走る。
 実は、アジマルとは以前危機一髪のところで爆破から逃れたという経験もある。車を揺るがすほどの衝撃と後方に炎々と燃え上がり黒い煙が空に舞う。今しがたすれ違ったばかりのISAF戦車を狙った車による自爆テロであった。スタッフの叫び声とともにアクセルを踏み、機転を利かしてわき道にそれたため、その後通行止めのため何時間も続いた渋滞に巻き込まれることなく事務所に帰った。しばらく震えがとまらなかったのを覚えている。
 アフガニスタンでは、運転手は命を預ける相手でもある。逆に、外国人と移動を共にすることで、運転手へのリスクも高くなる。そんな中で、信頼の置ける運転手として、頑張ってくれるアジマルには心から感謝する。