SVAスタッフ日記-アフガニスタン-

新着記事
先週よりジャララバードで雨が続いている。

2006年12月5日

アフガニスタン事務所 山本英里


先週よりジャララバードで雨が続いている。

恵みの雨ではあるが、舗装されていない道は、歩くのが大変になり数分先を車で行くのもやっとになってしまう。

この辺りの家々も、ほとんど雨が降らないため雨が降った時を想定していない造りが多く、雨漏りや建物の周囲は水がたまり、中には少しの雨でも床上浸水してしまう家もある。石でも置かなければトイレに行くのも大変である。ほとんどの家が外に台所があるため、泥まみれで調理をしなければならない女性たち。窓はあってもガラスがなく、ビニールなどで覆っている家も多い。気温がぐんと下がってきたジャララバード、子どもたちはきちんと暖が取れているのだろうか。

ザビット、ジャビッド

*アフガニスタン事務所を支える、彼らなしでは成たたない、日頃裏方に徹しているチャオキドールやドライバーの紹介です。

チャオキドールチーフ、ザビット

 「彼がどういう人かと聞かれたら、このエピソードが一番でしょう。」と紹介者のカシム氏(ネジャットセンター理事長)。ある日、カシム氏が麻薬撲滅事業のため、バダクシャン地方へ出かけた際、目的地に行く途中道に迷ってしまった。現地案内人は方向的にはこの先の方だが、道は地雷の危険があり、これ以上進むのは危険だという。ただ、何時間もかけて歩いてき、目的地まではあと少しのはず、カシム氏が悩むところザビットが歩き出した。慎重に、一歩ずつ歩き、後方のカシム氏に「自分の足跡に続いてください。」と伝えたという。”ザビット”とは彼のあだ名で勇敢兵といった意味を持つ。そんな彼も家に帰れば幼い子どもたちがまとわりついて離れないほど子煩悩な父親。子どもたちには、平和な社会で暮らし行って欲しいという。

ジャビッド

 ジャビッドの話はずっと前にもアップデートで紹介したことがある。2003年に、一番最初に事務所を開設した際、パートで一人の女性が掃除や調理などの手伝いで来てくれいていた。その少し後、ジャビッドがチャオキドールとして雇われた。あまり頼りになりそうになく、紹介もない彼であったが、生活に窮していることは一目瞭然で、最後にワヒドが自分が保証人になるといい雇うことになった。ジャビッドが入って直後、パートできていた女性が来られなくなってしまった。病気だという。給料も待たずに止めてしまったため、心配になり連絡先を探しているとジャビッドが知っているとのこと。大事な給与は直接渡したいと案内をお願いしたところ、そこはジャビッドの家。その女性はジャビッドのお母さんであった。父親は以前にミサイル弾で死亡、母一人でどんな仕事もこなしたという。これからは、母が家にいて、自分が母親の面倒を見る、と言うジャビッドの言葉に嬉しそうに頷く母親であった。アフガンでは、男性が自分の身内を他の男性に紹介することはタブーである。よって、ジャビッドも母親だと事務所で名乗ることはできないでいた。これからは母親をきちんと支えていきたいという。


(写真左:ジャビッド、右:ザビット)

アフガンのストリートチルドレン

2006年12月9日

アフガニスタン事務所 山本英里


 「アフガニスタンにはストリートチルドレンはいません。」大抵のアフガン人こう答える。「ストリートチルドレン」(以下SCとする)の定義は様々だが、多くの文献でSCを語る際、「定住居がなく、路上で生活している子どもたち」としている。アフガンでは、多くの子どもたちが働いているが、そのほとんどの子どもたちに帰る所があるとしている。昨年、トルハム国境を中心にSCの調査がなされた。ここで働く子どもたちは、ごみ広いだけでなく、密輸や店先での手伝い、洗車など様々仕事に関わり、各地から集まってきている。その数は年々増加傾向にあるという。
 SCに関わる問題も様々であるが、問題を探ることすら挑戦となる。「タブー」に触れるからである。イスラムでは、麻薬や売春・買春は禁止している他、弱者の保護を訴えている。弱者の立場を逆手に悪行を働くことも禁止している。よって、これらのことが表に出ることを極端に嫌う。様々な調査でも、問題の核心に触れることが調査隊が危険に陥るとし、断念している。よって、データとして証明できていないでいる。それでも、少数情報によると、SCは確実に存在する。家を追われた理由はわからない。家にいても経済的に負担になるため、独立することを求められたケース、家の経済を助けるためある程度のお金がたまるまで田舎から出てきて仕事をするケースなどが考えられる。トルハム国境で仕事している子どもたちで、家のない子どもたちは、ホテルの一室などで寝泊りをしているようだが、1日に稼いだお金はそのホテル代として消えていく。安全な夜ばかりではない。

 ある報告書では、このように述べられている。「この子どもたちの問題を”貧しさ”という一言で片付けてしまえば、それまでとなるが今この子どもたちに何ができるか、というところが議論されていない。」確かに”貧しさ”という根本的な問題解決は必須である。しかし、子どもたちの時間は毎日過ぎていってしまう。人格形成に大きな障害を来たす可能性もある。そういった子どもたちにとって、”子ども”に戻る時間はとても必要だとされている。

アジズラフマン(事務所チャオキドール)


独学で英語を勉強し、英語が話せる唯一のチャオキドール(警備員兼用務員)。弟たちには自分ができなかったことをして欲しいと願う。また、パキスタン大地震の事業では大活躍しました。

Q1.家族構成は?
 私は18歳で結婚し、現在7人の子どもがいます。男の子が4人で女の子が3人です。一番上の子は11歳です。3人の弟、6人の姉妹のうち1人は病死しました。父は私が19歳の時に病死してしまいました。私は、一番上なので、結婚した姉妹を除き、弟妹のと母親の面倒を見なくてはいけません。1978年に難民としてパキスタンの難民キャンプに行き、それ以来パキスタンで暮らしています。ただ、私は幼かったので当初のことはあまり覚えていません。

Q2.SVAに入職したきっかけは?
 父親が亡くなった時、私はまだ学校に行っていましたが、経済的に苦しくなり私が働かないといけなくなりました。私は学校止め、アフガンNGOでチャオキドールや運転手の仕事で雇われました。2000年から別の団体のカブール事務所で働き始めましたが、治安や政情不安に陥り、自分がいなくなっては家族が路頭に迷うということで、カブールを離れることにしました。その後、ペシャワールで仕事を探していた際にSVAがジャララバードに事務所を開設したと聞き、応募しました。例えチャオキドールでもNGOの一員であることは、自国を援助するという大切な役割があると思いできればNGOで働きたいと思っていました。

Q3.パキスタン大地震事業に関わって
 パキスタン事業では、実際に人々や子どもたちに関わって、どのように学校のシェルターを建設していくかや、人々たちにどうしたら物資を届けられるかなど、いろいろ具体的に学ぶことができました。パキスタン事業では、地域の人々との交渉や交流が主な仕事で、私自身相手の文化や宗教、習慣などを大切にし、相互理解を深めないと援助でも、仕事を進めていくのが大変だと感じました。

Q4.将来の目標
 私は途中で勉強ができなくなってしまいましたが、それでやめてしまうのではなく、これからも勉強を続けていこうと思っています。先ず目の前の仕事に責任を持ってできるようになり、その後はできればフィールドに関わる仕事に就くことができればと思っています。SVAの事業にも、いつか自分自身が関われるよう努力していきたいと思います。

ジャミラスタッフ無事日本より帰国

10月15日~30日まで来日したジャミラスタッフが無事11月10日アフガニスタンに帰国しました。日本へ到着した直後から日本の空気が自分にあっていると感じたというジャミラスタッフ。各地で温かい歓迎を受け、アフガンも日本も共通している部分がたくさんあると感じたという。帰国後は、日本で学んだこと、日本での経験をアフガンで伝えて生きたいとのこと。また機会があったら何度でも訪れたい国と繰り返していた。受け入れてくださった皆様、準備のためにご尽力いただいた皆様にはこの場をおかりして厚く御礼申し上げます。